山口県萩市/萩焼窯元泉流山の陶芸観光と和食器の通販

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萩焼の歴史
登り窯・窯焚きの話
山口県萩市/陶芸観光[萩焼窯元泉流山]
萩焼の起源は約400年前にさかのぼります。
桃山時代、千利休によって確立された「侘び茶」の隆盛とともに多くの文人・武人の間で様々な茶碗・
名物・茶道具が珍重されていましたが、折しも豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592〜1598年)において、
多くの朝鮮人陶工が連れて来られました。
(このときの戦役は別名「やきもの戦争」とも呼ばれますが、前述のことからも李朝の陶芸美術に対する
執着が窺えます。 と同時に李朝陶技の伝承とともに我が国の陶磁文化に大きな変革をもたらしました。)

そのときに渡来した1人が陶工・李勺光(り しゃくこう)です。
彼は毛利輝元に預けられ、のちに弟の李敬(り けい)も本国より召喚され
兄弟ともに帰化し、萩の地に住むことになりました。
兄・李勺光は、萩松本村・中の倉(現、萩市椿東・中の倉地区)で薪の使用を
許され松本御用窯として開窯しました。
また、藩公の命により古窯の点検とその再興を計ったとされています。
このことが萩焼の始まりと言われています。
李勺光の死後は弟・李敬が跡を継ぎ「坂 高麗左衛門」(さか こうらいざえもん)の名を賜り、兄の事業を
継いで古窯再興につとめました。
以後は歴代藩主の庇護のもと、その時代ごとに様々に変遷していきます。

■慶安(1648年)に入ると多くの諸窯が藩に召し抱えられ、また寛文(1661年)以降はそれまでの高麗
茶碗や織部風以外に楽焼の作風が加わって多様化し、萩焼独特のものが焼成され、古萩の最盛
時代を形成します。

■享保(1716年)頃には大道土の移入と使用が始まり、抹茶茶碗などの一部の高級製品において現在の
ような淡い枇杷色の萩焼が焼成されました。

■文化・文政(1804年)期には藩の財政再建のための陶磁器奨励
政策がおこなわれ、新たな窯がいくつも築かれました。
※泉流山の開窯もこの時期にあたります。

■幕末・明治期以降、廃藩置県など政治的変化のため萩焼は一時衰退していきます。 しかし大正から昭和にかけて復興し、以後新興の窯が飛躍的に増えました。


これらの様々な変遷と隆盛・衰退を繰り返し、また先人たちのたゆまぬ努力の結果、現在の萩焼へと至っています。
古萩茶碗
─(財)吉賀大眉記念館収蔵─
─参考文献─
「萩の陶磁器」   山本勉弥 著
「日本のやきもの」  吉賀大眉 著
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