18世紀半ば6代藩主毛利宗広が参勤の折、岡山城下に立ち寄った際、岡山城下では瀬戸内海に注ぐ吉井川から城下へ大きな溝を掘って水を引き入れ、城下の経済が潤い生活に活用されていた。
これを真似て、延享元年(1744)農業用水路程度であったものを大きく開削したのが藍場川で、2.6キロメートルにわたり市内を縫うように流れる。
川には鯉が放流され、小道とともに続く風情は萩の中でも印象の深いところである。
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